「農山村の景観を活かした北陸の地域づくり」

風景は次代を担う人間をつくる。気候風土から、生活・文化までを再確認しつつ、美しい北陸づくりを進めてもらいたい。

朝鮮通信使

朝鮮通信使は、高麗末期(日本では室町時代)に「倭寇禁止要請」のために僧が遣わされたことが起源とされている。その後朝鮮王国(李氏朝鮮;1392-1897年)の誕生とともに、室町幕府との間に活発な交流が始まり、お互いが国王(日本は幕府の将軍)に対して使節を派遣しあった。この時代に朝鮮王朝からの使節を、「信を通す」という意味から、“通信使”と呼ぶようになったとされている。

一時途絶えていた交流が復活したのは江戸時代になってから。1607年に通信使が江戸幕府に派遣され、その後200年の間に12回日本を訪れている。国書を携えた外交団であり、「正使」「副使」はもちろんのこと、「書記」「通訳」「書家」[画家」「医者」「僧侶」など合わせて500名、日本からの警護などをあわせると2,000人を超える大行列になった。

朝鮮からは、まず船で日本の対馬に渡り、瀬戸内海を経由して大阪に上陸し、中仙道から東海道を歩いて江戸まで往復するという経路をとった。

(2005年5月)

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