編集後記

地域の再生、地方の活性化のため「地域の自立」が叫ばれているが、地方社会の少子高齢化と人口減少の流れ、雇用環境や賃金水準などをはじめとした大都市部との格差といった問題は依然として解決の糸口がつかめない状態にある。このような苦境を脱却し活気を取り戻すため、地方社会が自ら舵をとり地域の明日を切り拓いていくために今何が求められているのか。今号では2つの視点を通じて、地域社会の明日を概観した。

一つは目下検討が続けられている、地方分権そしてその先にある道州制の導入といった、地方を支援するための体制の構築についてである。

これらの共通するのは「地方の自立」をいかに達成するかという理念であり、その実現のためには各種権限の中央から地方への移譲すなわち地方分権が不可欠であるとの方針が示されている。そして、地方分権という下地がありその推進手段として道州制がある、この2つは車の両輪のようにどちらかが欠けてもうまくいかないことを銘記しなければならない。一部では、道州制の議論が本格化するにつれ、一つの道州を形成する地域ブロックやそれを構成する都道府県の内訳、地域ブロックの中心地となる「州都」がどこかといった議論が先行しているが、これらは問題の本質ではない。

地方社会の実情を踏まえた施策が展開されることによって私たちの生活はどう変わるのか、そのために何をしなければならないのか、私たちが自覚し進んで行動を起こすことが大切なのではないだろうか。

もう一つが、衰退が著しい農山村すなわち過疎地域や中山間地域をいかに建て直すかという議論である。これらの地域に対する各省庁の政策は既に導入されており、たいていの分野には一定水準の支援策が講じられているのだが、必ずしも所期の目的を達成してはいないように感じる。それは、「誇り」の空洞化、つまりその土地で生活を営んでいくことに対して、人々が意義を見出せなくなってしまっていることが背景にあると思われる。

戦後わが国の農山村では、人口の域外流出が進んだ「人」の空洞化、耕作放棄地の出現という形で表れた「土地」の空洞化、集落機能が消滅する「ムラ」の空洞化という3つの空洞化が段階的に進行したが、それらをもたらしたのがこの「誇り」の空洞化に他ならない。今日では、人口減少は既に社会減から自然減へと変化し、不在地主の耕作放棄地は荒廃し、ムラの空洞化は限界集落問題を惹起させるなど、問題はさらに深度化している。農山村はもはや再生の手立てはないのだろうか。

農山村が食料や水を安定的に供給しエネルギーや大気循環を促すことができ、さらに防災機能の一役たり得ることを考えれば、国家運営の基幹的な部分を担っている様子が見えてくるのではないだろうか。農山村固有の特質は都市では代替が困難なことに着目すれば、わが国全体の中でどのような位置を占めるかがわかるはずだ。そこに気づくかどうかが、私たちが問われている点である。

(北陸の視座・編集事務局)

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