中核市・新潟

ハード&ハートの連携で、人の知恵と力を活かしたまちづくりを

田中 カツイ(ライフコーディネーター)

田中 カツイ(たなか かつい)
写真:田中 カツイ

ライフコーディネーター。

新潟大学教育学部卒。小中学校の教職を経て、フリーの教育コンサルタント、ライフコーディネーターに。

講演、まちづくり、社会評論などを幅広く展開。

新潟の「芋粥」は何か

今昔物語をもとに芥川龍之介が「芋粥」という作品を書いている。京都からあの芋粥を食べたいと、下人が京都からはるばる若狭の国へ付き従って来るという話である。話のテーマは別なのだが、若狭の国へ行けば芋粥が食べられるというこの話に、私は大変興味を持っている。

すなわち、新潟でこの「芋粥」にあたるものはあるだろうかということである。私たちが住む新潟は、新潟へ行けば何かがある、という豊かさをこれから提案していかなければならないのではないだろうか。これからの21世紀に本当に求められるのは何なのだろう。19世紀の産業革命以来、右肩上がりはそろそろ立ち止まったという時代の流れの中で、生活の質が変わるという中で、私たち新潟だからこそできることを探していかなければならないのではないか。そして、ハードに加えて、「ハートの社会資本整備」ということが提案できる新潟にならなければいけないと考えている。

既存のものを生かすための手法

新潟の抱える課題とは何か。まず新潟へ県内の他市町村の人がどれだけ魅力を持って来るか、ということから考えてみたい。

長岡から向こう東京へ向かう人たちに出会うと、新潟はほとんど魅力がないと言う。同じ県内であるにも関わらず、買い物に行くのには私は東京よ、と言うのである。では県南の人はどこへ行くかというと金沢へ行く。雪を楽しみ、食を楽しむのだったら県北の人は秋田へと。同じ新潟県にあって、他の市町村がこういう見方をしているのはなぜなのかというと、私たちはどうも日本海国土軸とかあるいは東京からのアクセスがいいとかいうことに安住しているのではないだろうか。

芋粥の話の中で都からはるばる若狭に来たように、逆にこっちは東京だけではない、ということを魅力として持たなければ新潟は存在する意義をどんどん失っていくのではないかという気がする。むしろ新潟はもっと関西へもっと北陸へもっと長野へもっと秋田へ、そしてなによりももっとアジアへもっと環日本海へという、そこの部分を魅力的に膨らませていかないと、まず県内の他の市町村から見捨てられるのではないか。もっと地元がほんとうに喜ぶ中核市なのかどうかというところの連携が必要ではないかという気がしている。

よく新潟には顔がないと言われるが、実は顔にすべきポテンシャル、山のように財産がありながら生かされてないのではないか。それは何かと言えば、もっと川、海である。陸と一緒に川、海という水、こうしたものに目を向けた新潟を生かす発想やハードの開発があまりされていないのではないか。もっともっと大事に持っている財産、この部分にも目を向けていく必要があるだろう。

それから、例えばなぜ県内の市町村が新潟空港を利用しないのかというと、今のままでは滑走路が短いからだめだと言われているが、もっと簡単にできる部分があるように思う。例えば韓国からの便はあるがそれを利用しようとすると、新潟から韓国へ行く便が限られていてうまく繋がらない、アクセスがうまくいっていない。一例をあげるとそんなふうに既存のものすら生かされていない。このように既存のものがうまく生かされていない中で、どうして次から次へと新しいプランが出てくるのか。もっと地に足をつけたプランの中から、確実な夢――今すでに時代は右肩上がりではない――ハードの財源をどうするのかも含めて、使えるものから一つずつ駒を裏返しにして解決していくという手法、それが今新潟にいくらか不足しているのではないだろうか。

社会資本整備の基本は「人活かし」

誇りを持つ町は生き続けると聞いている。そうすると私たち市民がどうやって誇りを築き上げていけばいいのかということを真剣に考え、取り組んでいきたい。市では、新しいものを作り上げていく力を育てたいといっているが、それには、市民と行政とのジョイントをまずベースに置かなければ、社会資本整備というものはできないのだろうと改めて思う。

前述で私は、ハートの社会資本整備ということを提案したわけだが、それにからめて少し述べたいと思う。先日私は市内のある公民館で講座を持った。そこでの参加者は新潟市民だけではなく白根、横越、吉田から来ていた。加えてそこの公民館にうかがうと、新津、北蒲、中条方面からもよく来るとのことである。すなわち、本当に人が求める価値を提供すれば、回りから人が来るということがいえるのではないか。それが中核市が担うべき役割ではないだろうかと思ったのがまず第1点目である。

そして第2点。新潟の花、チューリップを活かした花絵というものがもう五年目を迎えているが、4月に花絵をこの信濃川に浮かべて、花いかだというものを作ろうと考えている。そのチューリップにひとつ目を向けてみると、お隣の富山もそして日本海側は島根もチューリップの産地だとか。そうすると新潟、富山、島根といういわば国土軸がソフトで形成される。国土軸は単に新幹線や高速道などのハード面だけではないわけで、ソフトの動きの国土軸というものを、もう少し考えていく必要があるのではないか。また、鳥取へ行く機会が何度かあったのだが、同じ日本海側にもかかわらずたいへん苦労した経験がある。まず新幹線に乗って羽田へ行って、羽田から飛行機で鳥取へと。同じ日本海側なのに日本海、太平洋、また日本海とぐるりと遠回り、こんな馬鹿なことがあるだろうか。ソフトの国土軸と同時に、本当の意味のハードとの二人三脚が必要なのではないか。

第3点目。新潟は本当に素敵な町だ。町を考える素敵な人が新潟にはたくさんいると思う。まちづくりを考えるシンポジウムに大勢の人が集まり、その背後にもっと大勢の新潟を考える人がいる。社会資本整備の基本は人を活かすこと。その視点から、是非こういう「人活かし」ということを社会資本整備の中で考えていっていただきたいと思う。

※視座1〜4は、平成9年3月11日に行われたシンポジウム「21世紀の地方中核市の整備を考える」のパネルディスカッションにおける各パネリストの発言をまとめたものです。

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