日本は再成長できる-成熟国の企業と地域戦略

再成長にはエンジンが必要。アジアの成長力に注目しつつ日本そして北陸の底力を発揮する。

嶌 信彦(ジャーナリスト)

 信彦(しま のぶひこ)
写真:嶌 信彦

ジャーナリスト

1942年中国・南京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日新聞に入社。東京本社経済部にて大蔵省、通商産業省、外務省等を担当。1981年よりワシントン特派員として、サミットやIMF、GATT等の国際会議を取材。サミット取材は26回に及ぶ。1987年に毎日新聞社を退社し、フリージャーナリストとなる。各種メディアへの執筆活動のほか、テレビコメンテーターとして多くの番組に出演している。「日本の『世界商品』力」(集英社新書)、「首脳外交-先進国サミットの裏面史」(文春新書)など著書は多数。総務省「情報通信審議会」、国土交通省「独立行政法人評価委員会」など多数の委員を歴任している。

4回目の地殻変動期にある日本の経済社会

日本は今、社会のありようを丸ごと変えてしまうような、「地殻変動」とも言うべき大きな変動の中にある。戦後4回目の地殻変動ということになる。

最初はいうまでもなく第二次世界大戦の敗戦による戦後の変動。新しい憲法が制定され、農地改革や学校制度、家族制度など、それまでの日本の体制や社会システムが根こそぎ変わってしまった。こうした変化は日本人の価値観までも変えてしまった。

次は1970年代に起こったドルショック(1971年)と2度の石油ショック(1973年、79年)による変動だ。ドルの金との交換停止に伴い、世界の通貨制度は変動相場制に移行。ドル(アメリカ)中心に発展してきた世界経済の秩序に変化が始まる。それに追い討ちをかけるように石油ショックが発生。中東の石油エネルギーに依存していた先進工業国は大きなダメージを受け、石油を利用して成長を続けてきた世界経済の体制は見直さざるを得なくなる。

一連の動向の中で日本の高度経済成長が終わりかとみられたが、これに伴い、産業の中心は鉄や造船等の重厚長大産業から、自動車やエレクトロニクスなどの軽薄短小産業に移った。また省エネや代替エネルギー開発など、石油に依存しない社会に向けた技術開発やシステムづくりなどの取り組みが進み、社会も暮らしも大きく変化した。

3番目の地殻変動は1990年代。冷戦の終結に伴いグローバリゼーションが進行し、安価な労働力など低コストの生産拠点を求める動きが世界中へと広がった。これに伴い日本でも工場など生産拠点の海外移転が進み、産業の空洞化が進行。一方で世界的なデフレーションの発生は日本にも及び、非正規雇用システムの拡大や、「必要なもの」から「欲しいもの」をつくるという高付加価値商品・サービスへのシフトが進んだ。

そして現在、サブプライムローン問題に端を発する世界金融危機のただ中で、日本はなかなか景気が回復せずに揺れ動いている。こうした中、オバマ大統領はアメリカの次代への戦略として「グリーン・ニューディール」を掲げ、低炭素社会への移行を目標として明確に示した。この目標の実現は世界共通の課題でもあり、日本も積極的に取り組むことが求められている。したがって、これからの日本では、脱炭素エネルギー、二酸化炭素の削減、自然環境や生態系の保全を重視する社会に向けて、様々な変革が進むはずである。これが4回目の地殻変動ということになる。

図1 戦後日本の地殻変動

時期 事象・背景 変動状況
1945〜1951年
  • 第2次大戦の終了(敗戦)
  • 社会の規範やシステムの大転換
    →新憲法、農地改革、学校制度 等
1970年代
  • ドルショック
  • 石油ショック
  • 第2次石油ショック
  • 高度経済成長から安定経済成長への移行
  • 産業構造の転換
    →重厚長大から軽薄短小へ
1990年代
  • 東西冷戦の終結
  • グローバリゼーション
  • デフレーション
  • 失われた10年
  • 生産拠点の海外移転(産業の空洞化)
  • 非正規雇用システム(派遣社員等)の拡大
  • 価値観や行動の多様化
2008年〜(進行中)
  • リーマンショック
  • 世界金融危機
  • ドバイショック
  • ギリシャ危機
  • グリーン・ニューディール(緑の公共事業)
  • 低炭素社会への移行

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