日本は再成長できる-成熟国の企業と地域戦略

再成長にはエンジンが必要。アジアの成長力に注目しつつ日本そして北陸の底力を発揮する。

嶌 信彦(ジャーナリスト)

「欧州連合」という仕組みが再成長のエンジンに

もう一つヨーロッパの再成長の事例について紹介したい。

イギリスでは1960年代後半から経済が衰退し「イギリス病」あるいは「老大国」と呼ばれる時期が長く続いた。イタリアでは「奇跡の経済」と呼ばれた1960年代までの経済復興が一段落し、不安定な政情や石油ショックなどもあって財政赤字が膨らみ、それは1990年代まで続いていた。フランスは石油ショック以降、失業率が上昇を続け1990年代前半には10%前後に達していた。ドイツも石油ショックの影響を受け、さらに1990年の東西ドイツの統一に伴う、旧東ドイツへの援助コストの増大などから経済は低迷した。

しかし今、ギリシャの財政危機問題などあるものの、ヨーロッパ各国は1960年代から90年代にかけての低迷から脱して、再成長を実現している。欧州連合(EU)のGDPは18兆4,000億ドルで、世界全体の30%超を占めている(2008年)。こうしたヨーロッパの再成長を実現したエンジンは「欧州連合(EU)」という仕組みだ。

欧州連合の歴史は、1950年代の欧州石炭鉄鋼共同体、欧州経済共同体、欧州原子力共同体という3つの国際機関の設立に始まる。ベネルクス3国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)にフランス、ドイツ、イタリアの6カ国が、鉄鋼や石炭、原子力エネルギーそして経済(市場)の統合を目指して、第一歩を踏み出した。それから半世紀を経過して、今や東欧を含めて27カ国が加盟。通貨を統合し、欧州連合全体の憲法や議会も有し、まさにヨーロッパ合衆国ともいうべき一体化を果たしている。

欧州連合加盟国(=ヨーロッパ)の間では、人や物の動きは自由であり、関税がかからない。通貨も同じだから両替の手数料も必要ない。工場なども流通戦略に基づいて、人件費や建設コストの安い場所を選んで配置できる。ヨーロッパの国々は、欧州統合(ヨーロッパ合衆国の形成)という組織改革によって、およそ5億人の巨大な市場と様々なコストの削減による経済競争力のエンジンを手にいれたのだ。

図2 欧州連合〈EU〉の歴史

出来事 概要 参加国
1952 「欧州石炭鉄鋼共同体」設立 石炭と鉄鋼の共同市場の創設をめざす フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク
計6カ国
1958 「欧州経済共同体」設立 加盟国の経済統合をめざす
「欧州原子力共同体」設立 原子力分野の共同開発や共同利用をめざす
1967 「欧州諸共同体」に移行 3つの共同体を一元化して、一つの機関で運営  
1973 イギリスなどが新たに加盟 3カ国が参加し計9か国に拡大 イギリス、デンマーク、アイルランド
1980年代 ギリシャなどが新たに加盟 さらに3カ国が参加し12カ国に拡大 ギリシャ、ポルトガル、スペイン
1992 マーストリヒト条約(欧州連合条約)の調印 通貨統合、政治統合を進め、欧州連合創設を目指すことを定める  
1993 「欧州連合」発足 「経済・社会」「外交・安全保障」「警察・司法」の3つの柱で運営。経済社会分野を「欧州共同体(EC)」が担う  
1995 オーストリアなどが新たに加盟 3カ国が加盟し15カ国に拡大 オーストリア、フィンランド、スウェーデン
1999 統一通貨ユーロ導入 実際の現金(紙幣と硬貨)の流通は2002年から  
2004 ハンガリーなどが新たに加盟 東欧諸国を含め10カ国が参加し25カ国に拡大 キプロス、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロバキア、スロベニア
2007 ブルガリア、ルーマニアが加盟 合計27カ国に拡大  
2009 リスボン条約の発効 3つの柱構造が改正され、より一体的な運営に移行  

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