国土学からみた北陸の地域づくり(上)

脆弱な国土と厳しい自然条件。北陸も日本もたゆまぬ働きかけで安全と競争力を確保していく必要がある

大河津分水

新潟県燕市(旧分水町)で信濃川から分流し、日本海へと流れる全長9.1kmの分水路のこと。分流地点には「洗堰」と「可動堰」が設けられ、信濃川と分水路に流す水の量を調節している。

信濃川はたびたび氾濫し大きな被害をもたらしたことから、江戸時代(享保年間)から分水路計画があったが幕府の反対や費用の問題もあって起工できず、明治になって地元の強い要望や、明治29(1896)年の「横田切れ」と呼ばれる空前の大水害の発生を背景に、明治41年に本格的な工事が始まった。

当時東洋一の大工事といわれ、最先端の土木技術や機械、のべ1000万人の人員が投入された。大正11(1922)年に一度は完成したが5年後にトラブルが発生、補修工事が進められ、昭和6(1931)年の可動堰完成によって流路が安定。その後は信濃川本川では大きな水害は発生していない。

(2007年10月)

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