北陸地方は日本の中でも自然災害が多発する地域といえる。かつては福井地震、新潟地震という地震や三八豪雪、五六豪雪等の大きな災害を体験した。最近でも、平成16(2004)年の新潟・福島豪雨水害、福井豪雨水害、中越地震、平成17・18年の2年続きの豪雪、そして平成19年の能登半島地震に中越沖地震と、自然災害が北陸地方に集中的に発生している。
中央アルプスから日本海までの直線距離は太平洋側に比べて短い。つまり山から海までの傾斜が急であることを意味している。このため山中では地すべりが発生しやすく、急流河川が多くなる。さらに北陸は全市町村が豪雪地帯の指定を受けるという日本有数の積雪寒冷地域である。日本の他地域に比べて厳しい自然条件にある地域だ。
北陸地方では、こうした自然条件を克服する働きかけが他地域にまして必要であり、それは営々と続けられてきた。立山や白山の山中における砂防事業や、信濃川、常願寺川、手取川、九頭竜川等における治水事業など、安全や安心を守るための取り組みはまさに自然との闘いであり、生命や財産を守ることに直結していた。そして厳しい自然を克服することで、北陸地方は競争力を持つ地域へと進化していったのである。
代表的な例として、信濃川の治水の要である大河津分水があげられる。たびたび氾濫する信濃川の流路を固定することに成功したのは明治になってからのこと。江戸時代にも利根川の東遷などの数多くの河川工事を行っているが、信濃川は江戸時代の技術では治めることができなかった。明治の技術が必要であり、さらに真に安定させ洪水を克服するには昭和になるまで待たなければならなかった。
しかし、大河津分水が完成し、信濃川の流路が安定したことで、新潟平野は乾田化され道路や鉄道等のインフラが整備された。そしてそうしたインフラを活用しながら工業や商業や都市的な利用が可能になった。その結果、新潟は日本海側を代表する中核都市の地位を獲得するに至っている。
同様に立山カルデラでは、安政の大地震によって崩落した山1個分の土砂(4億立方メートル)が富山平野に流れ出さないように、土砂との闘い(砂防事業)と常願寺川の治水が一体となって行われ、安全・安心な富山の暮らしと産業活動を支えている。
脆弱な国土や厳しい自然条件は、自然を克服しなければ国土を利用できない点で、諸外国に対する日本のハンデとなっている。北陸地方は国内の他の地域に対して同様のハンデを負っていると言えるかもしれない。