建設業と地域経済の再生-「複業化」のすすめ

業種を越えた「複業化」で建設業の再編・再生を進めつつ地方の自立型産業の創出を推進する。

米田 雅子(慶応義塾大学理工学部教授)

景気対策、雇用対策で膨張した建設業

1990年代の初めにバブル景気が終了し、日本は「失われた10年」と呼ばれる長い不況の時を迎える。ところがこの時期、景気が低迷し各産業が活力を失う中で、建設業だけが膨張を続けている。

建設業就業者数はプラザ合意以降バブル景気とともに増加し、バブル崩壊後も増加を続け、1997年に685万人に達した。これは全就業者数の10.4%を占めるものだ(図2)。昭和30年代は180万人産業だったから、およそ40年で約4倍になった計算になる。

図2 建設業就業者数の推移

【出典】総務省「労働力調査」

一方、産業規模にあたる全国建設投資額のピークは1992年度で官民合わせて83.9兆円。バブル崩壊後は、民間投資の減少を補って政府建設投資額(=公共事業費)が増加を続け、1995年度には35兆円を突破。その後も30兆円を超える公共投資が行われている(図3)。

図3 全国建設投資額の推移

【出典】国土交通省「建設投資推計」

建設業が膨張した背景には、円高の進行と内需拡大の要請による地方への公共投資の増加という、プラザ合意に端を発する2つの要因があげられる。

円高によって海外から安い農産物や木材が入ってきて、国内の農業や林業が影響を受け衰退が始まる。製造業も円高下での競争力を高めるために、アジア地域を中心に工場の海外移転を始め、国内工場の閉鎖が相次いだ。円高に伴うこうした一連の動きの中で、農林業から建設業へ、製造業から建設業へと、就業者の移動が進んだのである。

一方、地方公共投資の増加に関しては、当初は内需拡大を目的に地方の整備を進めるという政策に基づくものだった。プラザ合意直後の1987年には「第四次全国総合開発計画(四全総)」が策定。「多極分散型国土の形成」という目標の下、全国各地で多様な性格の拠点形成をめざすための整備や開発計画が進行した。リゾート施設など、民間による地方への建設投資が一気に拡大し、建設業も活気づく。

ところがバブル崩壊によって民間の建設投資が減少するとともに、地方経済の落ち込みが問題となる。そこで景気のてこ入れや雇用確保のために、地方への公共投資が増加する。建設分野の経済波及効果が高いことから、交通インフラ整備などの公共事業が地方で上積みされ、バブル崩壊後も建設投資額は高い水準で推移した。

景気が低迷する中で、建設分野だけは公共事業によって活気があり、そのため農林業や製造業からの転職者が増加する。就業者の10人に1人が建設業就業者という状況にまで膨張したのはそのためだ。

この時期に行われた、公共事業によって雇用を確保し、地方経済を下支えするという政策は、確かに一定の成果をあげたものと評価できるだろう。しかしこの時期の膨張が、現在の建設業の苦境につながっていることも指摘できる。

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