東北学院大学教授
1958年宮城県仙台市生まれ。福島大学経済学部卒業、法政大学大学院人文科学研究科地理学専攻修士課程修了。岡山大学助教授、富山大学経済学部教授を経て2005年4月より、東北学院大学教養学部地域構想学科教授。専門は経済地理学で、先端技術産業の立地や地域経済論が主な研究テーマ。
北陸地方の物流に関わる課題や施策を検討する「北陸地域国際物流戦略チーム」の座長をはじめ、「中部地域経済産業の将来展望に関する検討委員会北陸部会長」(経済産業省中部経済産業局)宮城県総合計画審議会委員等を歴任。主な著書に、「企業空間とネットワーク」(共著、原書房)、「地域産業の再生と雇用・人材」(共著、日本評論社)等がある。
2004年、日本は大きな分岐点を迎えた。この年、日本の対中国(香港を含む)貿易総額(輸出入額の合計)が対米のそれを初めて上回ったのである。
ここ10年ほど対米貿易総額は漸減傾向がみられたものの、それでも年間20兆円を超える水準で推移し、アメリカは日本最大の貿易相手国の座を守ってきた。しかし貿易総額に占める割合(シェア)は1998年の27.8%から減少を続け、2004年には18.6%(20兆5000億円)にまで低下している。
一方、対中貿易額は着実に増加を続け、2004年には20%を超え(22兆2000億円)、日本にとって最大の貿易相手国となった。さらに2005年には香港を除くベースでも、中国と日本の貿易総額はアメリカを上回っている。
(図1)日本の対中、対米貿易額シェアの推移
(出所:財務省「貿易統計」)
これまでの日本はアメリカとの経済関係を重視する政策をとり、そのため太平洋側への投資が優先されてきた。空港や港湾をはじめ、道路や鉄道などの社会資本整備が先行し、それとともに都市整備や工業立地も太平洋側から進められた。それが太平洋側に立地する東京・阪神・名古屋の三大都市圏を中心とする現在の国土構造へとつながっているといえるだろう。
アメリカに代わって中国圏が最も重要な貿易相手国となったということは、経済的な相互依存関係がアメリカを凌いだことを意味する。これに伴って、太平洋側から日本海側への大きな「地理的シフトチェンジ」が始まろうとしている。いよいよ日本海の時代がやってきたのである。
日本海側に立地する北陸地方は早くから北東アジア諸国との連携を進めてきた。また「環日本海交流」や「環日本海経済圏」といった構想を打ち出し、他地域に先駆けて取り組んできた実績を持っている。政治的な課題もあってなかなか進まなかったこれらの構想が、いよいよ本格的に動き出す時期を迎えている。