北陸の各県と北東アジア諸国との交流の歴史には古いものがあるが、環日本海交流という考え方が注目されたのは1990年代に入ってからのこと。国連開発計画(UNDP)の主導で、中国・ロシア・北朝鮮の国境を流れる豆満江(とまんこう)開発計画が浮上したことがそのきっかけとなった。当初の計画は、豆満江河口に道路、港湾、鉄道を整備、さらに3カ国にまたがる大規模な経済特区を設置するというものだった。この計画に連携する形で「環日本海交流」や「環日本海経済圏」 といった構想が公表され、日本海新時代といった言葉も誕生した。しかし北朝鮮を巡る情勢もあって開発計画は進展しておらず、環日本海経済圏構想も停滞せざるを得なかった。
(2007年5月)