北陸の地震被災と日本の課題

災害は時代の流れを劇的に転換させる。北陸の被災体験と震災復興活動がこれからの国土づくりを変える

平井 邦彦 (長岡造形大学教授、工学博士)

グローバル社会の課題も浮き彫り 中越沖地震の歴史的意味

中越沖地震では、日本の災害史上初めてといってもよい2つの事態に直面した。

その一つはグローバルな市場問題である。3年前の中越地震では、物流の停止や工場の操業停止などによって、国内における生産・流通活動に影響が生じた。これをきっかけにBCP(事業継続計画:災害時等に生産や事業活動への影響を小さくし、事業を維持するための計画を策定しておくこと)が企業にとってリスクを予防するための新たなキーワードとして浮上した。

しかし中越沖地震では、柏崎市に工場を持つ部品メーカー「リケン」が被災し操業を停止したことで、世界企業トヨタをはじめ国内の自動車メーカーが軒並み生産停止に追い込まれた。メーカーからの支援等もあって1週間程度で操業を一部再開し、半月で全面復旧を果たしたものの、その影響は国内のみならず世界市場にまで及んだ。

生産や市場のグローバル化の進行とともに、一つの地域あるいは一つの企業の地震被害は国内のみならず世界市場に影響を与える。それは時として一国の経済や国力を低下させる可能性を秘めている。こうした災害リスクを低減させるために、企業はグローバルな観点からBCPを構築することが求められるということを学んだ。また企業のみならず、自治体や国には地域政策、産業政策の観点から災害への対応のあり方を検討する必要があることも明らかになった。リケンの被災はこうしたグローバル社会の課題を浮き彫りにした点で、大きな歴史的意味を持つものだった。

もう一つは東京電力の柏崎刈羽原子力発電所の被災である。3年前の中越地震では震源地から40kmであったが、大きな影響もなく、ほぼ平常運転を行ったことで、地震災害に対する原発の安全性や備えに高い評価が寄せられた。しかし、中越沖地震では、震源地からわずか16kmということもあって、様々なトラブルが発生し、対応の不手際も重なって、柏崎市長による消防法に基づく操業停止命令という最悪の事態にまで陥った。

柏崎刈羽原発の被災は国内のみならず、世界中が注目する大きなニュース(事件)となった。そして操業を再開するとすれば、地元住民だけでなく、県民や国民、さらにはIAEA(国際原子力機関)に代表される世界の同意も必要な状況になっている。

原発の重大被災という初めてともいえる経験の中で、安全性の確認や広範囲な合意をどのように進めていくのか。国際的にも納得できるプロセスを示すとともに、今後の地震や事故対応のあり方を明確に指示して、安全への信頼を回復することも求められている。こうした点から中越沖地震は、日本及び世界の原子力政策やエネルギー政策のあり方に影響を及ぼす、大きな意味を持つ災害と位置づけられる。

このように中越沖地震は、「中心市街地」「グローバル経済」「エネルギー(原子力)」といった課題を提起した点で、一国の中の一地域の災害被害にとどまらない世界史的な意味を持つものといえる。

ページの先頭に戻る

北陸の視座バックナンバー