大きな災害が発生すると、被災地を中心に時代の流れは一気に加速する。例えば阪神・淡路大震災後の10年を見ると、被災したことで神戸の町は大阪のベッドタウン化が一気に進行した。神戸は独特の個性と歴史を持つ都市だが、震災前から大阪の吸引力が強まっていた。震災は大阪の経済や文化の影響力を一気に強めた。それとともに、神戸の町も港もかつての輝きを失ってきている。
しかし、他方で震災を契機に神戸を拠点とした新しい動きもみられる。例えば「人と防災未来センター」である。1988年に国連決議で20世紀最後の10年間を「国際防災の10年」にすることが採択された。日本も提案国の一員として、国際的な視点からの防災研究や関連機関の誘致や設置などを鋭意進めていたが、阪神・淡路大震災の発生で、神戸に国際的な防災拠点・研究センターを建設しようという動きが一気に加速した。こうして誕生した「人と防災未来センター」は最先端の防災研究を行うとともに、防災に関わる教育や人材育成、会議やイベントなどを行う国際的なセンターとして、世界の防災拠点となっている。
また、阪神・淡路大震災で注目された被災地でのボランティア活動や復興期の住民参加のまちづくり活動は、公的な分野における「民」の参画や新しい連携の形としての「協働」の有効性や可能性を明らかにした。NPO法人という新たな社会の担い手を位置づけたNPO法の成立は、神戸の経験や実績を抜きには語れない。
中越地震の場合をみると、まず災害が発生した後の救援や支援体制や社会的システムが確実に向上したことが示された。例えばスーパーマーケットやコンビニエンスストア、ガソリンスタンド、物流企業との防災協定を結ぶ自治体が増加したことで、避難所への緊急物資は的確かつ迅速に提供できるようになった。またメディアや情報通信企業との連携によって、安否情報や被災情報の収集・提供のしくみもより向上している。何より市民の意識や行動の高まりは、防災に関わるNPOやボランティア活動を増加させ、さらに行政を巻き込みながら全国をカバーするネットワーク形成の動きにまで至っている。
また山間地における国土の維持・管理の重要性に対する意識の高まりやマネジメントについての論議や動きが始まっていることも、中越地震がもたらしたものだ。中越地域の被災地における大地の崩壊状態や芋川の河道閉塞は、国土の脆弱性を改めて浮き彫りにした。同時に、山間地に人が住み自然と共生することで、自然災害の予防や軽減を果たしているという、山間地の役割や機能を明確に示すものであった。
人口減少社会における中山間地の国土管理をどう行うべきか、環境問題を含めてどのように国土を維持していくのか。こうした議論や取り組みの広がりは中越地震によって加速された。