中越沖地震で被災した柏崎市の中心市街地は、復興にあたって大きな岐路に立っている。一方はとりあえずの復旧は達成するものの、被災以前の衰退がさらに加速し、中心市街地としての機能を失ってしまうという道であり、他方は震災復興を機に、新しいまちづくりに取り組み、賑わいや中心性を回復するという道だ。
衰退局面にあるまちをそのまま復元しても賑わいは戻らない。中心市街地が活動を取り戻すためには、元に戻すのではなく、時代に即した新しいまちづくりを進める必要がある。柏崎市の震災復興にはそうした視点が必要となる。とるべきは後者の道である。
例えば、駅前から歩いて移動できるくらいの空間に、広い歩道と公営住宅(震災復興住宅)、商店街、病院や各種公共施設を一体的に整備するといったコンパクトなまちづくりも一つの案だ。職住が接近し、商業施設、公共施設、医療福祉施設等が集まったコンパクトシティは、21世紀における地方都市の中心市街地のあり方として追求すべき将来像だ。
また柏崎の場合には、市役所を移転してそれを中心にしたまちづくりが考えられる。あるいは、大学を中心に住宅や商業施設が広がるような新しい「大学都市」というまちづくりも考えられる。要は市役所や大学、住宅や公的サービス、商店街といったしかけによって、中心市街地に人が住むとともに集まるしくみをつくっていくことが重要だ。
これまでの災害では、土地や建物に対する所有意識や権利意識が円滑な復興活動を阻害することが多かった。土地に所有者がいる限り、一度更地になったとしてもその上にまったく新しいまちの姿を描くことは難しい。神戸の場合には、区画整理方式で土地を交換し道路の拡幅などを行ったが、その調整には時間がかかった。
しかし、中越沖地震の復興を契機に土地や建物に対する概念を変え、そのための社会的なシステムを整備する必要がある。
地方都市の中心市街地はこれまで一等地であり、次世代に継承していくべき「よき資産」だった。ところが人口減少や中心市街地の衰退という社会変化は、その評価を低下させた。さらに被災によって客離れや再建コストといった「負の資産」も発生する。もはや継承すべき「よき資産」とはいえなくなってきている。このままでは、建物再建がされずに放置された土地が虫食いのように連なる商店街やまちになってしまう恐れすらある。
それを避けるためには、土地の支援システムやリバースモーゲージ等の手法を導入し、ある程度自由に復興後のまちを計画、実現できるようにすることが必要だ。所有する土地の場所や面積が多少変わったとしても、それによって魅力あるまちが再生できれば、資産価値は再び高まっていく。そうした意識や合意を形成していくことが求められる。
個人の土地をまちづくりや公共の観点から流動化したり、再配置するようなしくみや社会システムが、震災復興には有効であり、柏崎市の中心市街地復興活動においてぜひ検討・実現してもらいたいことである。その実現はこれからの災害復興活動において先駆的モデルとなる。