長岡造形大学教授、工学博士
1944年広島県生まれ。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻博士課程修了。専門は都市計画、都市防災。(株)防災都市計画研究所、(財)都市防災研究所を経て、1995年より長岡造形大学教授。防災とまちづくりの観点から阪神・淡路大震災や新潟県中越沖地震等の研究に取り組む。新潟県防災立県推進戦略顧問をはじめ数々の行政委員を務めるほか、(社)中越防災安全推進機構理事や中越復興市民会議顧問等を歴任し、中越地域における震災復興活動にも関わっている。
平成19(2007)年7月に新潟県中越地方は再び大きな地震災害に襲われた。マグニチュード6.8、柏崎市や長岡市などで震度6強を記録した「新潟県中越沖地震(以下『中越沖地震』と表記)」である。
3年前の平成16(2004)年10月に発生した「新潟県中越地震(以下『中越地震』と表記)は記憶に新しいところだが、その被災地では3年の間に復旧活動が着実に進み、豊かな山の暮らしを再生・新生させるという本格的な復興活動がスタートした矢先に、中越沖地震が発生したのである。
地方都市は、基本的には町場(市街地)、平場(かつては農村だったが近年は郊外店舗の立地が著しい)、山場(中山間地)からなるが、海岸線をもつところではこれに海辺が加わる。
中越地震は川口町を震源地として、旧山古志村(現長岡市)などの中山間地に地すべりなどの「大地崩壊」とも言うべき激甚被害をもたらした。いわば「山場」とそれに繋がる「平場」の被害が際立つ地震災害だった。
それに対して今回の中越沖地震は、上中越沖が震源地だったことから、同じ新潟県中越地域でも海外線に位置する柏崎市や出雲崎町などの「平場」と「海辺」が大きな被害を受けている。中でも柏崎市では、市役所やJR柏崎駅の周辺の中心市街地が壊滅的なダメージを受けており、9つある商店街では、多くの店舗が全半壊し、アーケードが傾いた商店街もある。
全国で中心市街地の衰退が叫ばれて久しいが、柏崎もその一つであり、商店街では売り上げ不振や後継者不足などからシャッターを降ろしたままの商店も多かった。その衰退が進む中心市街地が大きな災害に襲われたのである。
中越地震では、人口減少と高齢化が進行する中山間地の復旧と復興のあり方が問われた。日本の7割を占めるともいわれる中山間地が被災した時に、その地域を捨てるのか、それとも可能な限り再生・新生をめざすのか。また、どのように復興活動を進めるのか。中越地域の復興活動をめぐっては様々な議論が展開され、結果として、可能な限り暮らしやコミュニティを再生していくという選択が行われた。ただしその再生には、住民あるいはコミュニティが主体的に行うこと、また元に戻すだけでなく持続可能な成長に取り組む「創造的復旧」であることという条件が示された。
中越地域の震災復興におけるこうした選択とその結果は、中山間地における今後の地震災害のモデルとなるものとして、国内のみならず国際的にも大きな注目を集めている。
そして、今回の中越沖地震である。地方都市における中心市街地の衰退傾向は全国共通の現象であり、その中心市街地が被災した時にどのような選択を行い復興・再生活動を進めるのかは、全国の地方都市すべてが考えておくべき課題といえる。
神戸のような大都市や、高度経済成長の幕開け期に被災したかつての新潟市とも異なる、衰退が進行中の地方都市における災害復興のあり方、あるいはまちの再構築のモデルとして、中越沖地震とその復興活動は歴史的に大きな意味を持っている。