地域コミュニティと公共交通

公共交通のあり方は地域全体で考えるべき問題。一般市民の意識啓発と財政支援の制度構築が、地域の足を守るために今求められている。

佐藤 信之(評論家、亜細亜大学講師(交通政策論))

北陸から始まった鉄道維持の先駆的な取組み
キーワードは費用負担の相互分担と責任の所在の明確化

このように、わが国では鉄道を将来に渡って維持すべく、さまざまな制度的な支援体制が構築されつつある。そうした動きを背景に、地域の足を守るための先駆的な取組みが各地で開始されているが、その中から、住民や行政、団体等地域のさまざまな主体が関わり合って、鉄道を再生させた北陸の2つの事例を紹介する。

福井県の「えちぜん鉄道」は、福井市と勝山市を結ぶ「勝山永平寺線」、坂井市を結ぶ「三国芦原線」を運営する第三セクター会社である。前身は京福電気鉄道という民間事業者だったが、2000年と2001年に二度にわたる列車衝突事故を起こしたことから運行停止となり事業廃止、代わって沿線市町村や民間企業、各種団体が出資して設立された新会社である。

営業再開にあたって取り決めたのは、公共部門が行う費用負担の相互分担であり、簡単に言えば、設備取得・投資資金は福井県が、その他の経費を沿線市町村が負担するというものである。県は列車運行を再開するまでに要する費用のみを負担し、新会社にも出資はしていない。また、欠損補助にしても収支見通しで算定された額を上限とし、新会社の経営努力を促す仕組みとなっている。

図1 「えちぜん鉄道」における公的部門の費用負担内訳

福井県 沿線市町村
  • 運転再開に必要な工事費
  • 資産取得費等の運転・開業資金以外の初期投資額
  • 設備投資補助
  • 会社設立準備経費
  • 資本金額の75%(3億7,500万円)
  • 運転・開業資金
  • 欠損補助

また、「えちぜん鉄道」において特筆されるのは斬新な増客施策の数々である。例えば、車内での乗車券の販売や、お年寄りや足元の不自由な方々の介護を行うアテンダント(客室乗務員)を乗車させたことや、沿線の観光施設の利用券をセットにした割引乗車券を発売したり、行楽地の情報提供を行ったりしていることが挙げられる。

また、運賃値下げを敢行したことも特筆されよう。売れない商品は値下げして売ろうとするのが商売の定石であるが、鉄道は輸送サービスこそが商品である。これは供給と同時に消費される、つまり貯蔵が困難であるという特性があるため、車内が空席となるのが常態化しても気にとめられることもなかった。そこに着目し、空席のまま電車が走っているなら、それを値引きしてでも売った方が増収になるとの発案から、実行されたものである。

「えちぜん鉄道」の場合、線路施設の減価償却費は計上する必要がなかったとの好要因もあるとはいえ、需給調整規制の下、コスト上昇分を簡単に運賃に転嫁したり、経営が傾くと補助金や運賃値上げで糊口を凌ごうとしたりする従来の鉄道経営手法に一石を投じたものであったといえる。これらは社長として迎え入れた見奈美徹氏の功績によるところが大きい。

富山ライトレール(富山港線)は、JR西日本が運行していた富山港線を引き継ぎ、一部区間は道路を走るLRT(ライト・レール・トランジット)として開業した路線で、富山市と富山商工会議所、民間企業等の8者が出資して設立された第三セクター会社である。

北陸新幹線乗り入れに伴う富山駅の在来線高架化工事の際、富山港線の扱いが俎上に上り、森雅志市長がLRT化を表明したのが2003年。背景には、市街地空洞化による都市の活力低下、行政コストの増大、高齢化社会への対応等があったといわれるが、国の制度支援や関係者の協力、そして地域住民の事業への理解があったことから、計画発表からわずか3年で実現できたものである。

費用負担については、新会社と富山市とのそれについて取り決めがなされている。富山ライトレールは列車運行と施設の維持管理や更新・改良を一体的に行い、富山市が施設に関する部分の費用について支援を行うこと、また、経営責任を明確にするため、新会社に対して赤字補填は行わず列車運行に関しては自助努力で行い、公共交通サービスの提供を責任を持って行うこととされている。

図2 富山ライトレールにおける費用・責任分担

富山ライトレール 富山市
市民に公共交通サービスを提供することに責任を持つ
  1. 鉄軌道運営と施設の維持、管理、更新及び改良を一体的に行う。
  2. 自助努力で路面電車の運営を行う。
施設整備を行い、その維持、管理、更新及び改良について責任を持つ
  1. 新会社の行う維持修繕や改良にかかわる費用を支援する。
  2. 赤字補填的な支援は行わない。

開業前(富山港線)の利用者は、平日2,266人/日、休日1,045人/日であったが、開業後7月10日までの利用者は、各々4,800人、6,600人にのぼり、4,200人としていた需要予測を上回るものであった。

鉄道と並行して運行されていた路線バスを廃止し、駅で電車に乗り継ぐフィーダーバスとして再編・整理を行ったことや、日中15分おきの運行ダイヤ導入、駅の新設を行い駅勢圏を拡大したこと、開業初年度は全線100円均一とし運賃を通常の半額としたことなど、ソフト・ハード両面の施策が奏功したといえる。2007年10月には、予想より1年早く乗車300万人を達成した。

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